2009-06-07(Sun)

上高地 (Ⅷ) 

wesuton
上高地のウェストンレリーフ


上高地(Ⅷ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 ウォルター・ウェストンのこと・・、 】
大正、昭和の初期、芥川龍之介、若山牧水、斎藤茂吉、高村光太郎などの文豪が滞在したこともある。 彼の代表作の一つである小説「河童」に上高地と河童橋を登場させている。
国鉄が後援し東京と大阪の新聞社が主催した「日本八景」の渓谷の部では、上高地が第一に推された。
又、昭和天皇の実弟・秩父宮殿下が上高地から奥穂高岳に登り槍ヶ岳への縦走が行われ、連日新聞の話題となった。 この時期、上高地の河原で日本で初めて「ケショウヤナギ」(ヤナギ科、本州北部の水辺に生ずる落葉高木)が発見された年でもあった。
尤も、上高地を世に知らしめたのは、日本人ではなく外国人であった。
山屋さんで、上高地に1度や2度入ったことのある人はご存知だと思うが、イギリスの探検家(実は宣教師)でウォルター・ウェストン(1861-1940)という人である。
この人が、明治期に「日本アルプスの登山と探検」という本を出して上高地を広く世間に知らしめ、併せてこの時、山が信仰のための登山だったのを、楽しむためのスポーツとしての登山を紹介したのであった。 
それ以降、著名人や文化人が上高地へ入るようになった。
そして、その話題性、必要性にかられて、地内に簡単な施設や交通手段が思考、実行されるに到ったのである。

こんな折に釜トンネルは、半島の労務者を招き入れ、手掘りという手段で急ピッチで完成させたのである・・、昭和8年のことであった。 
併せて、上高地の宿泊施設の開祖ともいえる「上高地ホテル」(現、上高地帝国ホテル)も、ほぼ同じ時期完成を見ている。
ホテル建設当時は未だ道路は未開通で、資材は釜トンネルを抜けると大正池を船で運んで施工したといわれる。
この年以降を境に、上高地は一般大衆にも知れわたり、観光客は大幅に増加したといわれる。

平成の時期、新釜トンネルが完成するに及んで、旧来に数倍した観光客が訪れ、あの麗しき上高地は東京の繁華街にも負けない雑踏が繰り広げられるかも知れない・?。
現に昨今では、年に200万(冬期間は除く、通行止めで施設は休業)もの人々が殺到しているといわれる・・。
上高地自体は、天然記念物や国立公園に指定されている。
地元、上高地の住民達は昭和40年頃から「上高地を美しくする会」を発足させ、ゴミのない美しい上高地を目指して日々道路や周辺のゴミ拾いなど活動を行っているらしい。
主唱者は、この上高地の自然は日本の守るべき宝物で未来永劫に残すべきものであり、上高地を未来の子供たちに受け継いでいきましょうと・・。
 

「そうだ・・、上高地へゆこう・・、」

 【完】

続いて「明神散策」



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2009-06-05(Fri)

上高地 (Ⅶ) 

釜トンネル
写真:釜トンネル(左は旧釜トンネル

上高地(Ⅶ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【新釜トン・・、 】
いずれにしても上高地と言えば釜トンネル、というほど半ば条件反射的に思い浮かぶほど、上高地とは切っても切れないトンネルなのである・・。
この釜トンネルが、2005年7月に閉鎖になるという・・!!。

近くの山側に新たな釜トンネルが開通するためで、この狭くて危険なトンネルは完全に閉鎖されることになっていると・・。
2車線の新トンネルは大型観光バスもすれ違いができ、両側に歩道もある。
岩盤がむき出しだった旧トンネル、冬季、しみ出した水が氷柱となって垂れ下がり、路面はツルツルに凍って歩行者の通行も拒んできた旧トンネル・・。
それが今は乾いた歩道を何の支障もなく歩くことができ、長さ1310メートル、20分程で上高地側に出られるようになったという・・。

思うに、旧釜トンネルは一時代の役目を充分に果たしたのであり、その価値は充分に認識されてしかるべきである。 

新釜トンネルが開通した後の旧トンネルの扱いについては、歩行者の為の専用道路、或いは古い素掘りの釜トンネルを、ゆっくりと一方通行でタクシーやマイクロバスで、その壁面を見物させるとかで、観光資源として活用するなどの考慮がなされなかったのか・・。
又、文化財として温存することはできなかったのであろうか・・?。

同じような事例が伊豆の天城に有る。
新天城トンネルが開通するに及んで、川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台となり、今では国の重要文化財ともなって保存されている旧天城トンネルのことである・・、こちらも心霊スポットの名所であったのだが・・。
新トンネルの有り難さを思い、楽に通れるようになったことで感謝されて然るべきと思われるが、この新釜トンネルの必要性の重度を考えるとき、疑問を感ずる向きもあるようである。

新釜トンネルの完成以前に、国道158号線の「安房トンネル」が完成している。
東西往来、飛騨と信州を結ぶ動脈として大衆の人々の生活、利便性に大いに発揮しているのである。
しからば、新釜トンネルはどうであろうか・・?、このトンネルは上高地だけの行き止まりであり、大衆の人々の生活、利便性においては全く無関係であって、ただ、観光目的以外には考えられないというのである。
そもそも何のための一般車両通行全面乗り入れ禁止なのだろうかと・・?。

新トンネルは、事実、観光バス・タクシーの専用道路であり、その背景には観光客の大集団を招き入れ、当地で営業を営む業者の生活の利便を一層豊かにする事が本来の目的に見えてくると・・。 つまり、新トンネルは上高地景観保護には無縁で、観光業・観光客保護のためではあるまいかと。
近年は上高地の風物や原風景を保存する事よりも、観光業者に便宜をはかりその観光客を手厚く保護して誘致するという、真の目的が見隠れしているとする見方である。

因みに、旧新釜トンネルの概要は・・、
先ず、急な勾配である。
中ノ湯側坑口で海抜1315m、一方の出口は、なんと1460mもあり、その差は145m。
一本のトンネルで145mも高低差があること自体、既に珍しい。 そして、これを計算すると勾配は約11%ということになる。
1km以上も10%を越える坂が続く道は、野外でもあまりないという。 それがトンネル、つまり地下にあるというのだから、一般道路としては間違いなく 日本唯一であろう。
 

 「釜トンネル」近年の情報  http://www.alpico.co.jp/shuttle_center/info/detail.html 

続く・・、


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2009-06-04(Thu)

上高地 (Ⅵ) 

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上高地(Ⅵ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【釜トン・・は、心霊トンネル・・?】
この様な釜トンネルは、断崖絶壁の深く切れ込んだV字峡谷の梓川に沿って、昭和の初期に長期間を要して手掘りで堀すすめられたという・・。
なんでもトンネルの建設は、某半島の人達の強制労働で掘り進められ、工事は昭和8年に貫通したという。
この時、事故死した作業員の人達が大勢埋まってるという噂もある。 

又、昭和初期までは、冬期間に遭難、凍死した登山者の死体を収容した際、春から夏の間に松本市側に移送する時まで、トンネル内に一時保管することもあったという。
こんな理由によるのどうか、釜トンネルは「幽霊の出るトンネル」、「釜小僧が出るトンネル」などと「筋金入りの心霊スポット」などと言われる。

トンネル内で、いるはずのないアルピニストが後をついてきたとか・・、 
トンネルの中ですれ違いざま幽霊が体の中をつき抜けていったとか・・、 
グループの人数を確認すると必ず1人増えているとか・・、
目撃例は枚挙にいとまがなかったという。

或る松本電鉄バスの上高地線を受け持つ運転手は、「このカーブの壁にライトに照らされて、遭難者の顔が浮かび上がんだぞ-・・」とか・・、
「特に、上高地からの最終バスは薄暗くなって車内は私ひとりになるわけですよ、・・。上高地側で信号待ちをしていると、ときたま、トンネルの入口のコンクリートが赤く光って見えるときがあるんです。 たぶん、信号機の赤の色だとは思いますけどねぇ、でも不気味ですよ、本当に。 釜トンネルの中では絶対にルームミラーは見ません。もし、乗せてもいない誰かが乗っていたら、と思うと恐くて後を見ることはできません」などと話している・・。

実際、登山・ハイキングの専門雑誌の紀行文の中にも、体験談などが載ったりしたこともあった・・。 そのため地元関係者は上高地の観光客動員に影響が出ることを憂慮し、遭難者を供養することを理由として御祓いなどもしたようである。

こんなわけで、釜トンネルが特異なことは古くからいろいろな噂がすでに知れ渡っていて、全国的に有名だったのである。
尤も、昨今では釜トンネルの特質ともいえる当時の素掘りの露岩壁は、わずか数メートルの幅を残して掘り返され、殆どコンクリートで埋まり無くなっているというが・・。


この大型車がやっと通れる、一方通行を余儀なくされる狭い「釜トンネル」は、一方で上高地に殺到する観光客の数をある程度制限し、上高地の自然を保護するための人工の「安全弁」となって一役かっているとも言われる。

釜トンネルについて元信濃毎日新聞記者の菊地俊朗氏は著書『釜トンネル 上高地の昭和史』(信濃毎日新聞発行)の中で、「釜トンネルは『上高地の衛兵』である。 あの狭い、急勾配の一方通行トンネルが、押し寄せる人と車の大軍に立ちはだかり、80年近く上高地を俗塵から守ってきた。 もし、釜トンネルがあの形、厳しさでなかったら、今の上高地の姿は保障されていただろうか」と記している。


登山者を乗せたバスは、こんな難所の釜トンを抜けると目の前に釜ヶ淵の滝(堰堤)が顔を出す。 槍・穂高から流れ始めた梓川は、ここ釜ヶ淵でその幅を一気に狭め堰堤を落下し渓谷となっていくのである。

さらに進むと徐々に噴煙をあげる焼岳が見え出し、いよいよ上高地の入り口である。
やがて小さな張り出しを右に曲がると、一気に眼前が開けあの大正池と穂高が突然顔お出す。
この瞬間は、バスに乗っている人達は悲鳴とも思える驚きと歓声で車内が騒然となる。
それほどの感激を上高地は我々に与えてくれるのである。
小生自身も何度か上高地へは足を運んでおり判っているが、やはり、興奮を押さえることは出来ない。
その後バスは、大正池、田代池を通りバスターミナルの終点につく。
 

次回は「新釜トン・・、」について・・、


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2009-06-03(Wed)

上高地 (Ⅴ)

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上高地(Ⅴ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 釜トンネル・・ 】
昨今の釜トンネルでは当たり前のように通過してしまって新たな記憶は無いが、当初・昭和40年代の釜トンネルは些かなりとも印象に残っている。

松本電鉄・終着駅の「新島々」からヨウヨウにして上ってきた乗り合いバスは、「中の湯」を過ぎ上高地公園線に入ると、これから最後の”アガキ”が待っているのである、それは釜トンネルへの突入であった・・。
大型自動車がやっと通れるくらいの単車線の細い道で、しかも、バスのギヤーがガクンガクンとおろされる。
中の湯まで4段ギアーを3段ぐらいにして上ってきたところを、ここへ来て更に2段、或いは1段にシフトダウンするのである。
トンネル内はそれ程の急勾配なのである。

隧道内は真っ暗、前照灯の灯りも頼りなげで、しかも未舗装のためバスは大揺れに揺れて照点が定まらないのである。
更に驚いたことにトンネル面は、岩石、岩肌がそのまま露出していて、それがランダムな凹凸を現し、いたる所で水滴を垂らしている。 
これらが揺れ動くバスの窓ガラス面に、今にも接触しそうなのである。

トンネルは大曲がりに曲がっているようでもあり、当然出口は見えない、従って、この露出した岩石が照灯に不規則に照らされて、不気味な陰影を形作るのである。
バスの運転手も、「この先揺れますからご注意ください。窓からは手や顔を出さないでください・・。」と注意を促すほどである。

全長520m、最大勾配15度、照明もなく、おまけにトンネルは中頃で、くの字の如く曲がっているため、真っ暗闇で危険極まりない。
こんな地獄の様な「釜トンネル」なのである。
 

次回も「上高地」は続きます・・、



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2009-06-02(Tue)

上高地 (Ⅳ) 

上高地(Ⅳ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 上高地の自然保護 】 
40年前の東京、京浜地区は水も空も汚れていた、従って、首都圏の世間ではそろそろ自然への回帰、回復を叫びはじめた頃であり、そしてその頃、尾瀬の道路建設に対して自然保護運動などが活発化した時期でもあった。
しかし、上高地に関しては、既に昭和27年(1952年)国の特別名勝特別天然記念物に指定されてはいたが、自然保護や環境保全といった特別な活動、具体的な行動は未だ活発ではなかったように思う。

明神
木道
明神の遊歩道と景観

上高地が自然や環境を考え、マイカー規制が開始されたのは小生が始めて入山した7年後の昭和50年(1975年)頃で、しかも7~8月の夏季のみであった。
そして更に20年後の平成8年(1996年)に通年のマイカー規制が開始されたのであった。
この制度は1975年に上高地で始まったのを機に、その後、全国各地へと広まっていったようである。

尾瀬が、尾瀬沼を通過しようとする道路工事を止めた、所謂、人工物の建造差止めの自然保護活動の原点とするならば・・、
上高地は、さしずめ排ガスなどを規制する環境保全の原点といえるのではないか・・。

国道から(158号線)上高地へ向かう途中に「釜トンネル」がある。 
上高地に入る際は必ずこの「釜トンネル」を抜けなくてはならない。
小生、昭和40年の初期から登山や観光で何度となく上高地へ入り、その度にバスやタクシーで通過しているのであるが・・。

尤も、上高地に行くには、この釜トンネルを抜ける他に、徳本峠(とくごうとうげ)などの山越えをしなければならない。
昭和初期以前までの上高地・黎明期の頃の人々は、上高地・明神の南に位置するこの徳本峠を越えて入山するのが常道であった。
島々から徳本峠(2135m)まで標高差約1400m、15k余りの道程を、四苦八苦しながら上り下りしなければならない。 
山屋さんは、さらにそこから槍や穂高をめざしたのである。 
それだけで日程的にも1日や2日多く、労苦を重ね、強いられたのであった。
 


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