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2009-05-11(Mon)

表丹沢:「丹沢山迷記(7)」

「登山、丹沢山塊、東丹沢・山迷記」
「人気の表尾根から東丹沢の札掛けへ抜けてみたが、
その札掛けからの帰路、とんでもない事になってしまった。
初春の、サンサンと雪の降る夜だった・・。」


表丹沢:「丹沢山迷記(7)」

昔、夢中になっていた「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながら記載しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。


yabitu
表尾根登山基地の「ヤビツ峠」

「反省」・・、
札掛けを出発してから2時間以上は経過していた。
沢は陰惨でドス暗く、無情な雪が我等を呑み込んでしまいそうである。二人は無言の内に今来た道を引き返している。

「いいかね・・、俺が発言し、引き返す行動を取ったことに対して一言だけ言わしてもらう・・、それは、“このルートは絶対に間違っている”とは確信というか、確証はない。 ただ、結果的にもし間違っていたら我等は大いに反省しなければならないと思うし。 もしも、この道が正しかったとすれば、此れに対しては謙虚であって、絶対に悔いたりはしないこと。 これだけは判って欲しい・・!、」、「そして、今日は取りあえず札掛けまで戻って、そこで今日の宿を取ろう、明日の大事さは判るけど・・、明日のことは明日考えよう」
彼は、「そのことは承知した・・。 それでも、今でもこの道が正規の道であることは、今でも7割ぐらいは思っている。」
私は、この一言に対して理由を問いただしたが、納得のいく明解な返答は彼の口からは返ってこなかった。

戻りのペースは早かった。 
今通ったばかりの踏み跡を頼りに突き進んだ。 
険悪だった沢ずたいの道もいつしか明るくなり、やがて、覚えの或る林道へ出て胸を撫で下ろしたのは、既に19時半も回っていた。
そこで、もう一度冷静になって状況を振り返って考えたところ・・、合点が合うのは最初の出発点(札掛)から感違いして進んできたのではないか・・??、 この疑問に小生、些か身震いが生じた。 まさか・・?、と思ったがこの疑問は札掛けに着くまで解消しなかった。

夜中も8時を過ぎた頃、やっとの思いで札掛けの「丹沢ホーム」の宿泊施設に着いた。
玄関ドアーを開けると怪訝そうに先ほどの「おばさん」が出てきた。
「あら・・、あんだ方はさっきの・・・!」
「はいそうです、」と答えて、早速ながら・・、
『ヤビツ峠へ行く道は、どちらになりますか・・??』と切り出したところ・・。
「あれま・・、橋を渡った向こう側を右へ行く道がそうですけんど・・、」という・・。
我等は、次の言葉が出なかったのは当然であった。


検めて地図を確認した・・。
我等が3時間余の放浪を強いられたのは、『タライゴヤ沢』という・・。

タライゴヤ沢とは・・、
表尾根の上部、新大日からのびる長尾尾根の南部を流れる沢で、新大日の下山コースでもある。 又、タライゴヤ沢やその上流の境沢の谷を遡上する沢登りも堪能できる。
クマタカやヤマセミでも有名なこの付近は、丹沢の隠れた渓谷美でもあり、ブナの原生林も広がる。
しかし、以前は沢筋の登山道が荒れており、迷いやすくかなり危険で一般にはすすめられなかった。
だが最近は再整備がほぼ完了し、現在は安全なコースとなったらしい。
札掛→タライゴヤ沢→境沢→長尾尾根→札掛で約5時間。 札掛・丹沢ホームをベースにすればゆっくり楽しめる。


確かにホームの前から林道が延びていて途中で無くなり、その後は沢ずたいの道を詰めてゆくようになる。 何とそこは、我等が下山時に通ってきた「長尾根」に達し、表尾根に続く道だったのである。

そして、地図をもっと丁寧に、冷静に観れば当然判るはずであった。
我等は、がっくりと肩を落としたのは云うまでもない。
検めて想うに・・、我等の軽率さもさることながら、多くの山へ入っていると思わぬことが起るもんだと・・!。 そして、雪も降るこの時節、深い山中でこのようなことが起ったら或いは遭難も・・、と思うと身震いを禁じえなかった・・!!。

そして、更に綿密な調査、計画、状況把握、地理と地図の整合性、何よりも決断の速さと そして何よりも、疑問が生じ、解消できない場合は厳に行動を慎まなければならない・・!!。
これは山歩き、山屋の鉄則であろう・・!。
それに「自然」を、「山」を甘く見ないことである。

今回は、反省の多い山旅であった。       『終』


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2009-05-09(Sat)

表丹沢:「丹沢山迷記(6)」

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表丹沢:「丹沢山迷記(6)」

「突入」・・、

ステップを取ながら、今一度思い返してみる。
小生の札掛からヤビツまでの認識の度合い・・?、 
先ほど、札掛の山小屋を出るときのおばさんや若衆の話の内容・・?、
地図の記載の内容と信頼性・・?、
最も重要な現在おかれている現場の状況・・?、
しかし、今一頭の中ではハッキリしたまのが無い。
彼の行動力と積極姿勢に圧倒されながら、リーダーの如く半ば信じて付いて行くのみであった。

そして、又々嫌な場所に出くわした。 いよいよ山が迫ってきて、かすかな沢筋の道は河原の中を行くようになり、しかもかなり急な登り勾配になってきたことである。
雪のほうもサンサンと絶え間なく降り注いでいる。

思い切って彼に声を掛けてみた・・。
「どうだい、チョット変だと思わないかい・・?」
「そうだな、言われてみれば、そんな気もするが・・、でももう直ぐだろう・・!。」
「いやまてよ・・、相対的に考えてみて人の言っていることや、地図の記載内容について絶対的に正しく正確とは限らないと百歩譲っても、先ず、時間的に考えてもだいぶ経過し過ぎているし、既に札掛から2時間以上もたっている。 それに、この際一番大事なことは現場の状況で、林道が無くなって普通の山道になって既に1時間過ぎているし、この沢筋の道も次第に山深く、しかも、この沢も次第に小さくなりだんだん険しくなってきている・・!、このまま行くと沢歩きのような状態のなりつつあるようだが・・?、 どうだい・・?。」
「うーん、本来、道は沢に沿って延びているし、林道と言っても次第に荒れてきてコンナ状態になってしまったのかも知れない・・?、 いずれにしてももうすぐで着くはずだ、もう少し行ってみよう・・。」
「よーし、それじゃもう少し行ってみよう」、 又しても渋々と歩き出した。


雪の為ばかりではない・・、足場が不明瞭になってきたのでピッケルを充分に活用しながら前へと進む。 
5~60歩行ったところで、又しても難渋しそうな所へ出くわした。 道が突然無くなってしまったのである。
道は、岩肌が露出した山肌に突き当たり、此れより先は沢の、渓流の河原に微かに付いているのだろう・・、ただ、雪の為、全く不明瞭なのである。
「どうかね・・?、やはり変だと思わないか、 少し冷静になってみようじゃないか。」
「うーん、やっぱり変かな・・!」、 さすがの彼も腕を組んで考え込んでしまった。
「よく言うじゃないか・・、山歩きは特にそうだが・・、一般にも疑問を生じたら、直ちに中止し、引き返して確かめることが大切だって、 これも一つの勇気というもんだろう・・?、 変だと思ったら戻ろうや、仮のりーだーとしてお願いするよ・・!!」
私も、絶対的な自信があって言っているのではないが、彼の余りの盲目的積極性に、敢えて苦言を呈した。
「うーん、そうだな、それじゃ取りあえず従おうか・・、」 
我等は遂に、180度向きを変えて歩き出した。


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2009-05-07(Thu)

表丹沢:「丹沢山迷記(5)」

「登山、丹沢山塊、東丹沢・山迷記」
「人気の表尾根から東丹沢の札掛けへ抜けてみたが、
その札掛けからの帰路、とんでもない事になってしまった。
初春の、サンサンと雪の降る夜だった・・。」


表丹沢:「丹沢山迷記(5)」

昔、夢中になっていた「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながら記載しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。


「疑問」・・、
陽も、とっくに暮れて、すっかり闇の世界に変っていた。 
幸いに、持参してきた懐中電気を照らしながら地図を広げて見る・・、地図上では二股に分かれていて右側が林道、そして左の方角が登山道になっていた。 それに、付近には山小屋の「青山荘」があるはずだが・・?、
サンサンと降る雪の中、寂寥感ただよう現地は地図上とは一致しない様にも思えるが・・?、 これより先、どう探しても林道らしきものは見当たらないし、山荘の気配も感じられない・・!。
林道は廃道になって埋もれてしまったか・・、山小屋も最近とり壊したのであろう・・?、
それとも、地図記載に間違いがあったのでは・・?と勝手に想像していた。

時計を見ると18時半を回っていた。
この先、山道があったとしても、果たして何処へむかっているのだろうか・・??、と想像しながら小生としては前進するのは気乗りがしなかった。 だが、当の彼・相棒は懸命に此れより先のルートを探し当てながら進みだした。 明日のことを考えながら、先を急いでいるのだろう・・、小生も、それに続く・・。

この道が、或いは正しいににしても、時間的に本日中に帰宅できるかは疑問であり、又、今から引き返しても今日中の自宅に戻るには無理があるようだ・・。
万が一の場合、小生は有休で休めないことはないが、相棒は仕事の都合、簡単には休めないのだろう・・。 こうなると、彼の意のままに行動するのが良さそうだ・・!。
彼は明日のために前進する、小生は後に続いて歩を進め、思考は一時停止する。
二人の心中は、この辺りですっかり冷静さを失っていたのは確かであった。


彼が先頭(先導・・)で、沢伝いの悪路へ入っていった。 
三本丸太の危なっかしい沢に架かる橋を渡り、ホッとしたのも束の間、難所が次々と現れてくる。 
ただ、ハッキリした足跡が一つだけ付いているので、それを頼りに進むことになる。 先ほど、札掛けより出掛けた三人組は別な方角へ出向いたのであろう・・、と勝手に納得しながら・・。
雪も大分激しくなり、その量も膝くらいになってきてラッセルもきつくなる。 
体力も相当消耗しているようだが気力で、何も考えないで、緊張しながらも、ただ一刻も早く富士見橋、「富士見小屋」、そして、「ヤビツ峠」が現れるのを、ひたすら願い、祈った。

気が急(せ)いているためと緊張のためもあろう・・、あつくは無いが汗が出て、喉が渇く。 
暫くして、何とはなしに一休み、二人とも全くの無言、双方とも疲れているな、とはお互い感じ合う・・。
路は、いよいよ悪くなり大小の沢を数度渡り返す。
しかも、山深くなっている模様で、山肌も急峻にして狭まり、雪のため鮮明では無いが尾根筋が頭上に迫ってきている感じである。 深い・・!!。

更に次回に続きます・・、


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2009-04-27(Mon)

表丹沢:「丹沢山迷記(4)」

表丹沢:「丹沢山迷記(4)」

山行日――――昭和45年3月8日~9日
天候―――――晴時々曇
ルート――――水無川本谷⇒源次郎尾根⇒花立⇒塔ノ岳⇒表尾根:新大日⇒長尾根⇒
札掛・・・・
同行者―――男性1人


「林道」・・、
「チョット伺いますが、宮が瀬の最終バスは何時頃でしょうか・・?」
我等は、これから宮が瀬まで丹沢林道を歩き、厚木へ出る予定であった。
「宮が瀬のバスは、今日、土山峠付近の落石のため工事中で“通行止め“らしいよ・・」
勇んで下山してきた我等にとって、冷淡な言葉であった。 
この後、「丹沢ホーム」のおばさんや「国民宿舎」の若衆に問い合わせたが、色よい返事は無かった。 仕方なしに、ヤビツ峠(最終バスは16時台で、間に合わないのは承知していた)へ向かって「蓑毛」へ下りることにした。 

我々はこの時点で、大分冷静さを欠いていたのだろう・・?、このことが間接的に3時間の悪行と明日の無断欠勤へと繋がるのだが・・!!。
バス停まで凡そ2時間、蓑毛まで歩き出した・・。


ヤビツ峠は県道70号秦野清川線(通称「丹沢林道」)にある海抜761mの峠であり、鞍部は秦野市寺山地内に位置する。 「矢櫃」という漢字を当てることもあるが、通常は片仮名表記で表されている。
峠へは小田急秦野駅より神奈中のバス便があり、表尾根の塔ノ岳や大山への登山道が通じろ登山基地となっていて、休日は登山者で大変賑う。
尚、峠を挟んで秦野市街より宮ヶ瀬湖まで県道70号線が通じている。 ただ、車同士がすれ違うのもままならないほど大変狭い箇所が多く、又、ヘアピンカーブの続く舗装道であるため注意を要する。 又、自転車愛好家などにも人気があるが、夜中は「走り屋」の自動車が多く危険なので避けた方がよい。

一応、持参したルート地図は眺めたが、眺めただけでありヤビツ方面へは確かめることなく、しかも、指導標なども無く、見る機会も無かった。
5分ほど前に、3人(男性2人、女子1人)のパーティが先行していった様なので、その後を何となく追うことにした。 溶けかかった雪道であり、3人のトレースを追ってみたが有るような無いような、はっきりはしなかった。

緩い勾配の登りであるが、道幅は変わることなく続いている。 材木の切り出しのための飯場であろうか、ポツネンと寂しげに在った。 
この頃から大粒の雪も降り出してきたし、次第に夕闇も迫ってきていて、薄暗い様相になってきた。 
ここ最近、人が通った気配は感じられないくらい、辺りはヒッソリトとしているが・・、否、先ほど、3人が通った筈であるが、だが足跡もこの雪で消されてしまったのであろう・・?。

次第に雪のほうも本降りで激しくなってきたようだ・・、
そして路面の積雪も、今降って積もったわけではないだろうが、クラスト状態になった雪面をラッセルしながら進むようになる。 我等2人は黙して語らず、ただ黙々と歩むのみであった。 
1時間ぐらい歩いただろうか、突然、今まで頼りにしてきた車幅のある林道が突然無くなり、行き詰まってしまった。 しかし、辺りをよく観察すると山道らしいのは付いているようである・・。

次回へ続く・・、


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2009-04-25(Sat)

表丹沢:「丹沢山迷記(3)」

「登山、丹沢山塊、東丹沢・山迷記」
「人気の表尾根から東丹沢の札掛けへ抜けてみたが、
その札掛けからの帰路、とんでもない事になってしまった。
初春の、サンサンと雪の降る夜だった・・。」


表丹沢:「丹沢山迷記(3)」

昔、夢中になっていた「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながら記載しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。


「札掛」について・・、
最近は大分倒木がすすんでいるらしいが・・?、この辺り、中津川上流のこの地域はモミの木が群生する丹沢を代表する景観である。
江戸期の頃は、幕府の見回り役人が目印に大木に札を掛けたことから、その地名の由来とされている。

小生の住んでいる「厚木・あつぎ」という地名の由来であるが・・、
木材の集散地であったところから、アツメギがアツギに変化したとされるが定説ではない・・?。 
厚木周辺の北西方向の山域は「丹沢山塊」から派生する低山地帯を形成し、比較的人が入りやすい森林地帯でもある。

現在、神奈川県で唯一の村である「清川村」は江戸期には丹沢御林とも呼ばれ、七沢・煤ケ谷その奥にあたる宮ケ瀬の東丹沢山一帯に繁茂する森林は徳川氏が江戸に入るに及んで「丹沢御林」と称された、後に御料林と呼ばれた。  
御林は幕府直領下におかれ、江戸城修築や江戸の町並みを造営、其他の木材に使用の便に供された。
この山林を守り用材の諸役を課せられた村々は年貢・諸役を免ぜられていたともいう。 

丹沢東部に属する村々、愛甲郡煤ケ谷村、宮ケ瀬村、大住郡寺山村(江戸期の地名、現在の秦野市域)、横野村(江戸期の地名、現在の秦野市域)の四ヶ村に御林の警衛なども命ぜられている。
又、ここを丹沢を御留山(おとどめやま)とも称し、新編相模国風土記の記事に、右の四ヵ村の御料林役人や村民が御林を巡見した時の様子が記されている。
順回用の番札を掛けたことから宮ケ瀬から秦野へ通ずる林道上(県道秦野清川線)にある巡検所を、特に「札掛部落」と呼んでいたという。 

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札掛部落に立つ石碑


幕府は、樅(もみ)、栂(つが)、欅(けやき)、榧(かや)、栗、杉の六木を留木として伐採を禁じていて、山麓の村々が交替で見回っていたのですが、その際、タライゴヤ沢と藤熊川の出合の広川原にあったケヤキの木の洞の中に見回りの番札を掛けていた。それで札掛という地名がついた。集落ができたのは明治時代になって木こりが住むようになってからです。

次回へ、続く・・、


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