2009-07-28(Tue)

立山・剱岳「天の記」(23) 『劒岳・点の記』

アルバム2
写真:当時の昭和46年(1971年)に作成したアルバムと地図(新旧)、それに発刊当初の本・新田次郎の『劒岳 点の記


立山剱岳天の記」(23) 『劒岳点の記

先ず、「点の記」とは・・、
現在は国土地理院によって書かれた三角点設定の記録であり、謂わば、三角点の戸籍又は、案内書といったものである。 
三角点や水準点などの基準点の1点ごとに、点名、所在地、土地の所有者、選点年月日、付近の略図等、基準点の記録を収めたものをいい、又、近年では道順や水や食料の確保、人夫の雇用状況など測量に役立つ、多くの情報も書かれているという。
新田次郎原作の小説『剱岳点の記』(映画化も・・!)の”点の記”は、測量だけでなく当時の様子を知る貴重な資料を見聞することにより書き上げた、その意味の表題でもある。

剱岳・点の記」は、原作者の新田氏が昭和30年代に既に元山地測量隊員、特に剣岳の事に関して書くことを関係者によって勧められていた。 その間、新田氏は直木賞を受賞してからは(昭和31年、『強力伝』)売れっ子の山岳小説家(本人はこの呼び方は嫌っていたようだが・・、)として名を成し、しかも、測候所勤務という超多忙の日々を送っていた。 測候と測量というのは苛烈な自然を相手にする業務でお互い相通ずるのもがあり、それ以来新田氏は20年の間、「剱岳と測量隊」のことは心に秘めていたのかも知れない。 そして昭和50年初頭から1年以上に亘る執筆活動後、昭和52年に「長編書き下ろし」(雑誌・新聞などに連載せず、始めから単行本として書き上げる)として刊行した力作である。
物語は、明治時代40年、陸軍参謀本部・陸地測量部(現在の国土地理院)によって実際に北アルプス・立山連峰の剣岳で行われた山岳測量を題材にし、日本地図を完成させるために信念と勇気をもって困難な山岳測量に取り組んだ明治期の男たちの物語である。
主人公の測量官・柴崎芳太郎に未踏峰とされてきた剱岳への登頂と測量の命令が陸軍参謀本部から下る。 それは日本地図最後の空白地帯を埋めるという重要かつ困難を極める任務であり、山麓の山案内人・宇治長次郎とともに測量に挑んだ男達が展開する。

主人公の「柴崎 芳太郎」(しばざき よしたろう)は明治9年(1876年~1938年)山形県に生まれている。 初め軍人を志し陸軍に入隊するが、明治36年に参謀本部付き陸地測量部(現在の国土地理院)修技所に倍率65倍という難関を突破して入所し、陸地測量手(判任官・国家と公法上の関係に立つ任命官吏)として三角科第四班(三・四等三角測量担当)に配属される。
彼の測量は能登、越中、越後等、北陸地方が主であったが、特に明治39から40年にかけて立山の測量を行い、更には嘗て「地獄の針の山、登ってはならない山、登ることのできない山」と云われていた「越中劒岳」に明治40年 7月13日、 陸地測量部として初めて登頂に成功している。
その後の彼の功績(・・?)は国土地理院の「点の記」にも記されているが、特筆すべきは未だ開拓期途上の北海道で活躍していて、大正初期、北海道の日高山系のペテガリ岳やピリカヌプリなど全域にわたって足跡が印されていたのである。 因みに、大正後期は国内でもアルピニズムの揺籃期であり、北海道でも北大など国内の名だたる大学の山岳部等が各山へ初登頂を目指したが、その際柴崎 芳太郎氏の「点の記」を多いに参考にしたともいわれる。

又、山案内人・宇治長次郎は明治4年 (1871年~1945年) 旧大山町和田地区(現・富山市)に生まれている。 地域は耕地の乏しい山村で、子供の時から山仕事に従事していた。 彼は若い時から大力(力持ち)で、百貫(約375キログラム)の荷物を背負って、こともなげに歩いたという伝説も残る。
明治40(1907年)陸軍測量部に雇われ、人跡未踏といわれた剱岳に登頂し測量三角点を設置し、彼の登頂を記念して登山ルートの谷を「長次郎谷」と名付けた。
同時期、国内にも日本山岳会が設立され、一般人による登山が黎明期を向かえることになる。 併せるように芦峅寺や大山村には山案内人の組織も出来、特に大山村のガイドグループが出来たのは長次郎の人望によるところが大きいという。
それによって登山家は山案内人たちの存在を知るようになり、有名な登山家・田部重治や木暮理太郎等も長次郎を懇意にした。 やがて長次郎は終生の山の師となり、友となり、雇い主ともなった「冠松次郎」(かんむりじろう:明治・大正期の日本の登山家、黒部峡谷の地域研究、山岳紀行文でも知られる。「黒部の父」とも呼ばれる)と出会った。 二人は黒部の谷の魅力にとりつかれ、その後10年にわたって名コンビとして、黒部の神秘をつぎつぎと探っていった。
彼等に言わせれば、長次郎の山登りの手際には全てが舌を巻いて驚いたといわれる。 激流でも、岩場でも、長次郎の前には自然と道が開かれているように見え、必要以上の努力を払わず、巧妙に歩き、柔軟な身体で悪い岩場に吸いつくように、両手を上へ押し上げながらかぶざった岩場に抱きついて行く様子は、まるでヤモリのようであったという。 特に、道のない日本アルプスを上高地から富山の方まで1日で抜けたとか、有峰から長野のほうに1日で抜けたとか、何れもきちんとした登山道のある今日においても4、5日はかかる行程である。 彼等は、長次郎は既に人間の域を超えた伝説的人物で、超人的化け物であるとも言わしめた。 又、長次郎は、名ガイドとしての天性の登山脚力の備えは勿論、雲、霧、風などの自然の変化には動物的感覚の持ち主で、天候の観察が実に的確であったという。
詩人室生犀星は、長次郎、黒部、冠らのこれほど息のあったトリオはめったにないといい、冠松次郎におくる詩を次のようにうたっている 「剱岳、冠岳、ウジ長(宇治長次郎)、熊のアシアト、雪渓、前剣、粉ダイアと星、漂った藍の山々、冠松 ヤホーヤホー。」
やがて太平洋戦争の最中、かつての山案内人の名声も戦争激化で登山どころではなく、人々の記憶からうすれ、長次郎は一介の村の老人にもどっていた。
昭和20年の終戦を長次郎は病の床でその知らせを聞き、それから2か月後の10月30日、眠るようにこの世を去った。
 
1907年(明治40)7月、陸地測量部の測量官・柴崎芳太郎と山案内人・宇治長次郎らの測量隊が三角点埋設を行うため剱岳山頂に挑んでから、2007年(平成19)で100年の節目を迎えることから、新田次郎原作の「劒岳・点の記」の映画化が決定された。 
この映画は東映・木村大作監督によって本年(2009年6月)映画化、上映された。 
木村氏は元々、カメラマンと撮影技師して名を知られ、特に黒澤明の撮影助手として名を上げ、本人も自分の師匠は黒澤明であると自認している。 黒澤氏からも「撮影助手で名前を憶えているのは大ちゃんくらいだ」と言われた事もあるという。
そのカメラマン・木村大作が初めて監督としてカメラを引き受けたのが、新田氏の「剱岳・点の記」であった。 カメラマンとしての木村氏は、同じく新田氏の山岳小説の映画化で「八甲田山(1977年)」(原作・「八甲田山・死の彷徨」)や「聖職の碑(せいしょくのいしぶみ、1978年)」(原作・聖職の碑)などで、山岳地におけるカメラを既に回している。
因みに、「剱岳・点の記」では、主人公の測量官・柴崎芳太郎役に「浅野忠信」、山案内人・宇治長次郎役に「香川照之」が好演している。 又、画面は、立山連峰の美しくも過酷な自然や剱岳の急峻な山の様子が、上映時間150分の内の大部分を占めていて、山愛好者にはたまらない垂涎の映画にもなっている。 もっとも、史実や時代考証にも、もっとこだわりを見せて欲しかったという意見もあるようだが・・。
小生は、この著書を発売当初(昭和52年)から早速購入、読破しているが、今、改めて読み返している。 そして、映画は、本年(2009年)7月当初、拝見している。


『終』


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2009-07-27(Mon)

立山・剱岳「天の記」(22)  「終章」

別山乗越から剣沢と剣

雷鳥沢ルート

雷鳥平みくりが池
写真:別山乗越から剣沢と剣
写真:別山乗越から雷鳥沢ルート
写真:雷鳥沢からの見晴らし(みくりが池、地獄、国見山・天狗岳)


立山剱岳「天の記」(22)  「終章」

明けて本日は、昨日の妖気とはうって変わって好天に恵まれた。 
一瞬ではあるが、体調がまずまずなので昨日のことを察して、今日、今一度、「剣」に借りを返すべくアタックしようと思ったが、自己の事情もあるので、さすがに2度目は断念した。 
今日は、壮大な剣御前の麓を捲いて、別山乗越から雷鳥沢を下りることにする。
尚、「剣御前」は立派な山容をしているが、立山や剣の間に挟まれて、いつしか忘れられた山になってしまったようだ。 山道は、途中までは確かであるが上部は藪こぎを強いられ、ピーク手前あたりは道も鮮明でなくルートファインディングに苦労するらしい。 現在、地図上では破線の道(難所ルート、不確かなルート)の登山道になっているとのこと。 
しかし、剣御前と一服剣の鞍部を「黒百合のコル」と命名されているように、剣御前の頂上から直下付近は黒百合をはじめお花畑が広がる絶好地でもあり、又、剣岳の展望も絶佳であろう。 剣御前小屋からも近く、主稜線でもあり、何故敬遠されているのか不思議である・・!。

別山乗越から、頂部はやや雲に隠れているが「剱岳」を見納めして下ることにした。
雷鳥沢から暫くジグザグの急な下り道が続き、急激に高度を落とす。 ドンドンと下るのはいいが、さすがに3日間の行動で足が弱まり、疲れているのを感じる。 中間辺りまで下ると道も緩やかになり、お花畑の大斜面の広がりが気持ちが癒す。
やがて立山連峰の山麓高原が大きく開ける。 正面には雷鳥平、左手に広がる浄土沢のパノラマが開け、左背後には雄山・大汝山・富士折立の懐かしい立山三山が聳える。 雷鳥平の広―いキャンプ場も今日あたりは点々としたテントが張られたなくチョット寂しげである。 
それにしても雷鳥平周辺は賑やかなところである。 既に観光客やハイカーの皆さんが右に左に往来している。 だが、ここ雷鳥平から室堂方面を見たところ、かなりの高所で上り坂が続くようである。 やはりというか、立派な遊歩道が敷かれているわりに、ここから室堂ターミナルまでは疲れた体にとって最大の難所となってしまった。 因みに、室堂に戻る道は標高差100mの登りになっているそうだ。
途中、エンマ台からは灰色の大地から激しく噴煙を上げる「地獄谷」全体が見渡せ、又、山裾に広がる「山崎カール」が雄大である。 そして火口湖の「みくりが池」がすぐ近くに見え、幾らかでも疲れを癒してくれた。 そして室堂ターミナルへ、ヨウヨウに到着した。

室堂からは通常の乗り物で富山へ向う。 
途中、金沢の「兼六園」を見物した後、金沢の奥座敷と言われる山間の静かな湯涌温泉で、昨日までの山中の汗と垢を洗い流した。
その翌日、金沢から福井、米原へ到って、新幹線で帰路へ就いた。


終わりに・・、
この記録は、小生が若かりし頃、初めて「剱岳」へ登攀した時の、メモから掘り起こした追憶紀行記です。 当時の登行記録と併せて、往時の立山信仰の概要や立山周辺の土地柄、立山周辺の山様、そして、最近話題になっている映画「剱岳点の記」の若干のエピソードを絡めて本稿にしたものです。 
尚、剱岳や関係写真、資料については有難く拝借致しました。ここで改めて謝意を表すと共に、悪しからずご了承下さるようお願い申し上げます。


【山旅日程】 昭和46年8月18日~22日

【第1日】 上野⇒(車中泊)⇒富山

【第2日】 富山⇒立山⇒美女平⇒弥陀ヶ原⇒室堂--->一の越--->立山(雄山・3003m)--->汝山--->富士ノ折立--->別山乗越--->剣沢--->剣沢小屋(泊)

【第3日】 剣沢小屋--->剣山荘--->一服剣(2618m )--->前剣(軍隊剣・・?2813m)--->平蔵の頭--->平蔵のコル(避難小屋)--->カニのタテバイ(梯子)--->カニのヨコバイ(クサリ)--->剣岳山頂(3003m→2999m)--->避難小屋--->前剣--->一服剣--->剣山荘(泊)

【第4日】 剣山荘--->別山乗越(剣御前小屋)--->雷鳥沢--->室堂⇒立山⇒富山⇒金沢⇒兼六園⇒湯涌温泉(泊:金沢の奥座敷・山の湯「うえのや」)

【第5日】 湯涌温泉⇒金沢⇒福井⇒米原⇒新幹線⇒新横浜⇒自宅

次回、最後に『劒岳・点の記』について・・、


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2009-07-26(Sun)

立山・剱岳「天の記」(21) 「彷徨の下山」

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立山剱岳「天の記」(21) 「彷徨の下山」

黙々、黙然と相変わらず岩との格闘している最中、一人・単独の岳人に出会った。
軽い気持ちで何時ものように「こんちは、お疲れさん・・!」と声をかける。 
通常、山歩きですれ違う場合、見ず知らず同士ででも大抵の場合、勇を気する為もあって挨拶を交わすのは普通のことになっている。 まして、お互い状況が厳しい中にあっては、励ます意味と気を交換するためにも、普段の挨拶以上に言葉のやり取りをするのが有効な時もある。 しかし、彼の場合は常態とは異なっていた。 視線は訝(いぶか)しく、相手(小生)を避けるように無言のうちに脚足早く通り過ぎて行ったのである。
稀有な感じであり・・!、彼のパーソナリテーなのか、疲労や天候不順による心身の変化なのか・・、相手を想いつつも自分は一体どうなっているのか、疑問を我が身にも振りかけながら先を急いだ。

しばらく、クサリ場やハシゴ、岩場を登ったり、降りたり、這いずったり、横切ったりと相変わらずの連続であり、下山とはいっても気楽な気持ちは微塵も無い。 霧の状態も先ほどより濃淡が判るようになり、動きも感じられるが、しかし、未だ煙幕のようなガスが風雨を伴って襲う時もある。 
時間的な感覚でもそろそろ前剣のピークに来てもよさそうだが、と思いを巡らしながら激しい岩場の格闘が暫く続き、右手の大岩から正面に塞がる岩壁を「ひょい」と超えたところで前が開けた・・!。 
そして、よく観ると「これは又、何たる事か、遥か以前に・・?、越したと思っていた例の平蔵の避難小屋が眼前に現れたのだ・・!!」 一瞬、目をこすり、幻ではないか・・と冷静に確認したが、それは、まぎれも無い頂上直下の避難小屋で、しかも先ほど通過して筈の避難小屋であったのだ。 夢中になって退路を急いで・・?来たのに、否、夢中だったからこそ勘違いが生じてしまったのかも知れない・・?。 はた又、避難小屋という完全な目じるしが無かったら、そのまま剣本峰へ登り返していたかも知れないのだ。

小屋で地図を広げ、冷静になって進路を(この場合は退路)確かめたが、何処で、どう間違えたのか明瞭な判断は着かなかった。 とにかく今来た道(足跡)を着実に引き返せば、何処で、どう間違えたか察しがつくはずと思い、又、それ以外実行する手立て(足立て・・?)はなかった。 幸いというか・・、ふみ跡やルートを外し、所謂、進路不明の迷子状態になった訳ではなかったのである。
普通の山道であれば概ね登り、下りは鮮明の筈であるが、事、ここに及んでいる状態は闇の中で、岩場の冷徹な場所で、鎖やハシゴで夢中になって上り下りを繰り返しているのである。 従って、一息入れて何気なく、さて参ろうかという時に、極めて似たような場所、状況なので、うっかり今来たルートを戻りかねないのは充分考えられるのである。 謂わば、一種の猫袋(昔の運動会で顔に袋を被せ、目暗状態にしてゴールへ向かう)状態・・?。

その後になって原因としては、どうやら前剣と平蔵の頭の谷間で一息入れて、さて出発という時にそのまま逆道を行ってしまったようである。
それにしても、この自然の悪戯(自分の不注意)に一瞬、茫然自失にさせられたことは事実で、まかり間違って踏み跡を外していたら、たちまち遭難に追い込まれるとこでもあった。 用心、用心・・!!。
剣岳に一つの借りが出来たので、次回にその借りを返しに再来することを自問自答しながら剣山荘へ急いだ。 無事到着し、早速小屋の係員にその旨を話したら「特にこんな日(濃霧)は、岩場では間違いが起こりやすく、時折、その様な話を聞くときがありますよ・・!」と言っていた。
因みに、最近では岩場のルートを間違えないように危険な場所やルートには、プレートでルート番号、場所、進行矢印などを表記しているらしい。

今夜は疲れきった身体をじっくり休ませ、明日下山することにした。

次回は、終章


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2009-07-25(Sat)

立山・剱岳「天の記」(20) 「恐怖の下山」

カニのヨコバイ
写真:恐怖のカニのヨコバイ


立山剱岳「天の記」(20) 「恐怖の下山」

山頂の想いも余り感じない束の間のうちに、後は逃げるように退路をとったのである。
先にも記したが、岩場の下山は怖い・・!、特にカニのヨコバイは怖かった。
カニのヨコバイは、ツルッとした一枚岩の絶壁に架かる一筋(半筋・・?)の歩程で、到達点はすぐそこの見えてはいるが下を覗き込めば「はい、ソレマデーヨ」の谷底である。 先ず、手出し、足出しの第一歩が肝心のようで、鎖につかまり後ろ向きに足場を探りながら、爪先立ちの足場のため左か、右かのスタンスよっては次のステップが取れなくなってしまう恐れがある。 こんな時は、体が大きく岩場から離れ、所謂、空中に身を放り出すような感覚になるのである。 この時、シンゾーがザワーッとする瞬間である。 無論、ホールドはしっかりとチェーンを握ってはいるが・・!。
この時、スタンスを滑らすか、踏み外し、その衝撃で、所謂、手に汗握る状態で鎖に手がかかっている場合は握りもすべり、その瞬間、身体が離れて「はい、それまで」である。 この場所では毎年のように転落事故が発生し、もちろん落ちれば即死か、運が良くても至急便のヘリの世話になるのである。 
いずれにしても、足場は岩盤でしっかりはしているが、幅は狭くて指先で歩く感じである。 この時ばかりは、さすがに身体が硬直して、思わずゾク、ゾクッとする感じであった。

鎖につかまりながら、そろりそろりと左斜めにトラバースして・・、
このカニノヨコバイから数本の鎖や鉄ハシゴをやり過ごし、レイの避難小屋を脇目も触れずに、ただ黙然と下山の途を歩んでいた、と言うより這っていた。 
ただひたすらベースにある剣山荘を目指して、無碍な行者のごとく心身の強弱を繰り返しながら、思いは一つ、行動は一つに収斂していた。 心なしか、気が付かないうちに、あれだけ荒れ模様の妖気も、ここへきて静まりつつあるかの様である。 
山小屋へ着いたら何はともあれ、このズブ濡れの、濡れネズミの服装をさっぱりと着替え、この道中を笑い話にしながら熱いコーヒーでもすすり、食事の前の冷たいビールを戴く・・?!、 等々、早、安楽な世俗、浮世の世界を時折、頭に描いていた。
天の様子が少しは穏やかに成ったと見えても、未だ、雨風は収まってはおらず、視界は全くきかない状態は以前と同じである。 それどころか、下り・・?は完全な夢中(霧中・・!!)の中にあって、先程までの登りは、喘ぎながら、もがきながらも何処か平静さと冷静さを保っていたようであるが、現在の下山時の精神状態は、あの時よりやや劣っていたようであった。

次回は、迷路


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2009-07-24(Fri)

立山・剱岳「天の記」(19) 『山頂・天の記』 

ブロッケン
写真:ブロッケン現象

剣山頂1
写真:剱岳山頂の小生(昭和46年8月)


立山剱岳天の記」(19) 『山頂・天の記』   

剱岳山頂である・・!!、
信仰登山における本来の目的は、山中登行時の難行苦行や剣岳のような山岳そのものの峻険、険悪の様相が山の中に地獄を起想し、存在し、その地で修行としたことから始まったともされる。 しかし、山はそれだけではなく浄土があることも知らされる。 それは頂上に赴いて、山頂における無類の大景観に接したとき、そこには遠方、近方に大日如来や五色の雲に乗った阿弥陀菩薩が現れ、美しい交響楽を奏でることである。 人々は、神仏と大自然との接点に立ち、清浄の喜びに浸り、即ち、極楽の世界、宇宙の包容を感じ、観るのである。

好例として、「大日如来」とは密教でいう宇宙そのものと一体と考えられ、空海の開いた真言宗においても大日如来は宇宙そのものが神格化したものであり、一切のものは大日如来から出生するとされている。 
日本の山の山頂には大日如来が降り立ち、如来像を祀ったという伝説の山が数多く存在する。 極近くでは目の前に聳える立山の大日山系は、ここに大日如来像が安置されたことに由来している。 そして、この剣岳山頂の目の前に鎮座している今では朽ちそうな小さな祠は、或いは大日如来が安置されているのかも知れない・・?!。 因みに、立山(雄山)山頂の祠には、阿弥陀如来が祀られているという。
又、山の天辺で起きる「ブロッケン現象」と言うのがある。 太陽などの光が背後からさしこみ、影の回りに虹と似た光の輪となって現われる幽幻な現象で、これは阿弥陀如来が姿を現したものと考えられている。 

立山、剱に登ることの目的は、地獄、針の山など六道悪邪の世界を経ながら、しかもそれを脱し、清浄無垢なる極楽に至り、身も心も清められて、再び地上に生まれ変わることにある。 このこと自体が信仰山行、宗教登山とよばれる由縁で、立山信仰の根元でもあるる。 
我ら一般人が「山に登る」ということも、或いは、信仰という極めて清浄な気概が心の底に内奥しているのかも知れない・・!!。 地上の雑然たる穢悪(えお)の世界から、清浄なる聖地へ旅立ち、そして、山頂にて身も心も清められて、再び地上に生まれ変わるのである。


剣岳山頂の現実であるが・・!、
写真は、当時(昭和46年8月)の小生の剣岳山頂の様子である。
このような状態では大日如来や五色の雲に乗った阿弥陀菩薩が現れることは無理であった。 想えば、今回の剣岳山行は針のような風雨に晒され、苛まれ、それは麓に下山するまで治まらなかった。 所謂、剱岳は俗に言われた“地獄の山”、“針の山”を地でいっていて、最後まで我らに向かって対峙したのであった・・!。 南無さん(山)・・!!。
さて普通、山頂に到って其の想いが尽きぬのが山登りの醍醐味の一つでもあるが、だが、今回のように風雨に見舞われて、最悪の状況も時としてある。 そんな時は、一時の山の想いにも耽ることもなく、潔く、再来を期して早々に山を降りるのみである。 
状況下、直ちに剣岳山頂を後にするが、実は直後に風雨の中、思いもかけぬ事が起こってしまったのである・・!!。

次回、恐怖の下山


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