2009-04-22(Wed)

西丹沢・大室山(Ⅳ)

昔、夢中になっていた「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながら記載しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。


西丹沢・大室山(Ⅳ)


山頂⇒犬越路⇒箒沢

犬越路に向かってガクンガクンと急坂を下りる。
暫くするとダラダラの道となり身の丈以上の熊笹が行く手を遮るようだ・・、両腕でラッセルよろしく掻き分けながらの行進になる。
途中、見通しの良い所へ出ると、日没前の「富士山」のシルエットが美しく冴えていて、明日の天気を約束しているようである・・。 一方を振り返ると、これまた「桧洞丸」の雄大な姿が、夕日に照らされてデンと座っている、日没も近そうだ・・。

先を急ごう・・、間もなく犬越峠に達する、以外と瘠せたコル(鞍部)であった。
当りは既に薄暗くなってきていて、北方、道志川沿いの村落の灯が点々と伺える程である。

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写真:犬越峠よりの展望・・!!


一服した後、用意してきた懐中電灯を取り出して足下を照らす、すっかりこのような時間帯になった・・。

月明かりも無い、ほぼ真っ暗闇の急坂を下る・・、
通常の場合、山歩きには登りと下りの両方あるもので、登りは比較的安全であるが降りるときに以外と危険が潜んでいるものである。 歩行中に滑ったり、捻ったりして怪我するのは大抵は下りが多いのである・・。
電灯片手に、急な坂を下りるのは充分に気を配らねばならないのである・・。

足音以外に何も聞こえない静寂の中、耳を澄ますと微かに沢音らしいのが聞こえてくる、
この渓流音が次第に大きくなったところで沢筋に達した。
「用木沢」の出合いであった、夜中の沢歩きは勿論始めてである。 
沢筋の道は、沢沿いと言うより河原と言った雰囲気の広い谷の緩い下りである。 昼間なら何ともない所だろうが夜間は見にくい、足下の灯りだけを頼りに見え隠れする沢道を、度々間違えては後戻しながら進む・・。
いやはや、こんなに苦労するとは思わなかった。
 
やっとのことで、今朝方進入した大きな「白石沢」の合流点の到達した。
林道を下っていると、途中5,6人の地元らしい人達と出会った・・、 もしかしたら我等の捜索・・?、と一時疑問をもったがそうではなかったらしい。

「もしかしたら、テントの人たちかい・・?」
「はい、そうです・・」 
「管理人のおばさんが心配してたよ・・!!」 
「どうも、すいません・・」 

二言、三言、会話を交わして分かれた。
箒沢のテント場に着いた頃は、すっかり夜も更けていた。 
テントを撤収し、山小屋のおばさんにそれなりの礼を言って、更に、中川温泉まで徒歩で下る。 
テントや各種部材が満載され、重量が一段と増したキスリングが容赦なく肩に食い込む。

本来、明日が休日ならこの温泉でユッタリしたいところだが、そこは勤め人の辛さ、バス便も無くなったので余計なお宝を払ってタクシーで山を降りた・・。
自宅へ戻った頃は、既に今日の0時を回っていた。 
いやはやとんだ山旅であった・・。  【終り】

次回は、「丹沢山迷記」を投稿の予定です。


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2009-04-21(Tue)

西丹沢・大室山(Ⅲ)




西丹沢・大室山(Ⅲ)

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 山頂


この破風口から大室山へ登り返すころから、多分、バイケイソウであろう・・、既に枯れ落ちた茶褐色の草原が目立ち始めた。 それらを保護するための木道も出てきて、一帯は次第にその大群落になってくる。 確か・・?、隣に聳える「檜洞丸」の山頂あたりもバイケイソウの群落があるらしいが、こちらも相当なものである。その、檜洞丸は後日訊ねる予定であるが・・。
又、シロヤシオの松肌の大木も目立ちはじめている。
バイケイソウといい、シロヤシオといい、そして何よりブナの新緑の・・、これらの季節にも是非訪れてみたいものである。 今はただ、生あるものは既に季節の眠りについているのである。

二等三角点のある大室山の小広い山頂に着いたのは夕刻間近であった。
ここもブナやアセビなどの木々に囲まれて展望は無かったが、静かで落ち着ける処だった。
それにしても、西丹沢の名だたる名峰のはずが、今は人影も無く、ただヒッソリトしていた。 
普通、丹沢の主な峰には大抵の場合、山小屋が在るはずであるが、ここにはそれが無かった。 従って、余計に寂寥感が漂うのである。
今は展望も無く、休憩するには西ノ肩の方が良さそうである・・。 山頂で一息入れた後、こざっぱりした西ノ肩へ戻って大休止をすることにした・・。

陽は既に、西に傾きつつあった。
昨夜の飲食のせいもあって朝の出立がかなり遅れ、出発した後も頭に昨夜のアルコールが若干でも残っており、決して体調はよろしくなかった。つまり、かなりのスローペースであったということである。
山歩きの基本は、「早立ち・早着く」であるが、これも完全に無視してしまって、今朝方出かけたのは10時を回っていたのであった。
ともあれ、何とか本日の目的地である「大室山」へは到達したので、良しとしよう・・。

持参してきたガスコンロで、インスタントラーメンを炊き、遅い昼食となった・・?。れにしても山で食べるラーメンの美味しかったこと・・、相棒も納得したらしく、顔を見合わせてニンマリとした。

山頂(西の肩)は、原生林の「ブナ」の林に囲まれて 本来、眺望の効かない山頂であるが、葉の落ちた木々の間から遠く南アルプスの白くまとった峰々が遠望できる。 
この時期、すでに人の姿も無く、小鳥のさえずりも聞こえず、山頂は閑散とし、時折、冷たい風が頬を通り抜けるのみである。

それにしても苦労して頂(いただき)に達し、登りきって目的地を極めたというのに、いつもの様な達成感というか充実感が余り感じられないのはどうゆうわけか・・?、こんな山歩きも珍しい・・。
相棒の鈴木氏も元々口数の少ない人物であるが、今日は特別無言に感じられるのである。これも人っ気が全く無く、自然も一年の内の終期に当たり、今はただ寂の様相である。 我等も自然の雰囲気に倣い、合わせる様にただ無言であった。
山登りといってもいろいろあるもんだなーと、妙に実感するのである。

昔の人は「秋の陽はつるべ落とし」と云ったが、言い得て妙、正にその通りで、あっという間に日が暮れてくる・・、今は冬枯れの時期であり昼の時間は極端に短いのである。 
時間は既に夕刻4時を回っていた、早々に下山しなくてはならない・・。


大室山(大群山)について・・、

登山地図を見ても(昭和50年代の「丹沢山塊」:日地出版・・現在は絶版)大室山を注記(括弧で括って)して、「大群山」(おおむれやま)と記載してある。 だが、最近の国土地理院の地形図には大室山と記されていて、今はこちらが由緒正しい呼び名らしい。 
いつ頃、どのような理由で名称が変わったかは定かでない。

「大室山」が属する西丹沢は甲州と相州との国境尾根を形成しており、大室山はその山域の雄峰でもある。
特に、道志方面や高尾山などの中央沿線の山々などからは大きくて立派な金字塔に見える。道志街道の裾野から根張り豊かなドッシリとした山容は、丹沢最高峰の蛭ケ岳を凌ぐほど、この山域随一の存在感を示しているのである。
因みに、東京の八王子方面などからはこの大室山が富士山を隠してしまうので「富士隠し」とも呼ばれるらしい。

ところが、大室山は登山対象としての人気は薄いようだ・・。
ガイドブックなどで展望の悪い山という評価が定着してしまったせいもあろうが、登山者が少ないおかげで整備された登山道は意外なほどよく保全されている。
この山は山頂の展望を目的とする山ではなく、美しい樹林の中、土の感触を味わいながら歩くことができる山であり、本来の山歩きそのものを楽しむ山なのである。


次回へ続く・・。


2009-04-20(Mon)

西丹沢・大室山(Ⅱ)

昔、夢中になっていた「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながら記載しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。

西丹沢・大室山(Ⅱ)


白石峠⇒加入道山⇒大室山
昨夜のお酒が少々頭に残ってはいるが・・、暖かいコーヒーを沸かし、軽い朝食を済ませて登行の準備に取り掛かった。
さあ、これからいよいよ西丹沢の主峰・「大室山」のの登行に取り掛かる。

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大室山(1588m)

箒沢の部落を後に中川川の清流を右に見ながら、幅広の林道は徒歩1時間余り「県立青少年キャンプ場」まで続いていた。これより先は登山専用の山道になり、二股に分かれている。
左は、我等がこれから向かう白石峠を経て「加入道山」、「大室山」のコースであり、右方向は、桧洞丸と大室の鞍部・「犬越路」の峠で、帰路に通る予定である。

犬越峠は、その名の通り乱世の戦国期、武田信玄が自国の甲斐へ戻る途中、犬を先導して越えたという言い伝えによりその名が付けられたといわれる。白石峠から大室山は、神奈川県と山梨県の県境でもある。


これより白石峠へ向かっては早速ながらジグザグの登りで、白石沢の清流が見え隠れしている。 右手に大滝が現れてきた、名前が付いているのか不明だが「白石大滝」とでも名付けておこう・・。
この辺りより藪、ササの間を縫うように急登が続いている、間もなくして鞍部・白石峠へ到着した。
昨夜の飲みすぎ食べすぎのせいであろうか・・、途中、発汗のためかなりの苦汁に苦しめられたため、充分な休息をとる。 峠周辺からは丹沢の主稜・蛭が岳や桧洞が悠然と見渡せる。

峠から加入道山へは一投足であった。
ブナの大木が目立ちはじめ、いよいよ西丹沢の山域らしくなってきたころ、三角点の標石がある小ぢんまりとした山頂へ着いた。
頂上(1418m)は、ベンチが数台設置されているだけの静かな頂であり、付近に遠慮がちに避難小屋(無人・トイレ無)がある。
緑期のころは樹林に阻まれて展望はほとんど無いだろうが、今は落葉期である・・、木々の間から山並みに混じって富士が微かに遠望できた。

加入道山(かにゅうどうやま)とは・・、
面白い山名だが、日本山名事典(三省堂)によると大入道伝説によるものか、あるいはシカが多いところから鹿入道がその名の由来であるらしい。
樹林(ブナの原生林である)に囲まれて展望は無いが、落ち着いていて好感のもてる山頂である。 
目的の「大室山」は、既に堂々たる山容を眼前に現している、そして、我等を呼び寄せてもいる様だ。
俗っぽい言い方をすれば、“ここまで来たら、もうこっちのもんである”。


加入道山頂のベンチで一息いれて、これより本峰・大室へ向かう・・。
一つのピーク(前大室山)を過ぎ、なだらかに下っていくと破風口というキレット状(切戸・山稜がV字形に深く切れ込んで低くなっている所)の所に達した。 その名の通りの風の通り道のようで、さわやかな風が吹き抜けていた。
ザレた瘠せ尾根であるが、特に危険な様子は無い・・。

これより大室への最後の登りとなる・・、とはいっても極端な登りではなく平坦な地が広がる箇所もある。元は湿性地であったのだろうか・・?丹沢には珍しく園地の様であり、枯れた草原状の平地に植生保護のため木道が敷かれてある・・、実に気持ちの良いところである。次の西ノ肩も、ブナと林床のバイケイソウに囲まれて、なかなか気持ちいい場所であり、新緑の季節はいいかもしれない・・。実は、ここが犬越への分岐になり大室はこの先になる。一服したい所であるが本峰はすぐ其処に見えているので先を急ぎ目指した。

西ノ肩からひとまず大室山山頂(1588m)を踏んだ・・。

次回へ続く・・。


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2009-04-17(Fri)

西丹沢・大室山(Ⅰ)

「登山、丹沢山塊、西丹沢・大室山」
「西丹沢の大室山は登山対象としての人気は薄いようだ・・。
ガイドブックなどで展望の悪い山という評価が定着してしまったせいもあろうが、登山者が少ないおかげで整備された登山道は意外なほど良く保全されている。
この山は山頂の展望を目的とする山ではなく、山歩きそのものを楽しむ山なのである。
美しい樹林の中、土の感触を味わいながら歩くことができる。」


西丹沢・大室山(Ⅰ)
昔、夢中になっていた「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながら記載しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。


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丹沢山塊の主稜線、中央が「蛭ヶ岳」



山行年月:昭和44年12月13,14日
場  所:西丹沢・大室山(1588m)
人  員:2名
主コース:箒沢部落⇒白石沢出合⇒白石峠⇒加入道山⇒大室山
     ⇒犬越峠⇒白石沢出合⇒箒沢部落
徒歩時間:凡そ8時間




西丹沢・登山基地「箒沢」

関東地方南部、神奈川県の山愛好家で、最初に登った本格的な山は何処か・・?、と
訊ねると大方の人は概ね「丹沢」と答える。 これは、一般的な人への返答だが、少しでも山をカジッたことの有る人は「丹沢の何処の山か・・?」と重ねて聞くだろうが・・。
それ程、親しみやすく近距離にあるのが「丹沢山塊」である。

この山は、最高峰が「蛭が岳」(1673m)程度の2000mに満たない山であるが、主として西部地域に大表されるがブナの原生林や美しい渓谷美が存在山域である。
山塊は、東西40km、南北20kmの範囲で神奈川、山梨、静岡の三県に跨っている。一名、相模の屋根といわれるのが「丹沢」である。

小生が山好きになって最初に登ってのもこの山である。 たぶん、登り納めがあるとすれば同様に、この山域であろう・・。
先月、丹沢山(1567m)へ挑戦したばかりで・・、蛭が岳を目指して、裏丹沢へ貫けようと思ったが、小屋の状況と大雨で撤退したばかりであったが・・。この丹沢・表尾根の山々は、10指に数える位入山しているが、西の山域は未だ未踏の地であった。

そして、今回も新しいルートを求めての登行となった。
今回は、その西の代表的山域「大室山」(1588m)の山行で、昭和44年12月13日、暮れも押し迫った土曜日の午後の出発となった。
尤も、この年代の土曜日は、週休二日制などは未だ実施されてなく、せいぜい半ドンが“関の山”であった。 
因みに、土曜日を休日とする週休二日制(週五日制)が広く採用されるようになったのは、1980年代頃よりである。
 

土曜日の夕刻、「水炊きの材料」を詰め込んで出発した。
伊勢原の友人「鈴木氏」と同行して、小田急・新松田の駅が19時、ここからバスに揺られて中川温泉へ、そして、今度は徒歩で凡そ1時間で「箒沢」に到着した。
部落に入って、道路際のすぐ左手に鬱蒼とした杉の大木が圧倒している。これがうわさの「箒部落の箒杉」であった。

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箒沢部落にある銘木・「箒杉」

小生がこの地を初めて訪れた3年後の昭和47年、丹沢地域は集中豪雨に襲われた。
この時周囲は土砂崩が多発し、多くの樹木が流される中で「箒杉」だけは残り、土砂崩れを防いだという。もしこの杉がなければ 被害はもつと大きくなったといわれていて、云わば、箒沢は集落を救ったのである。箒杉の名前の由来は、この地の名前の 「宝木沢」からとったとも、また樹形が箒に似ているところからきたとも言われ、多くの書物にも紹介されている。
国指定天然記念物指定、幹周・1200cm 、樹高・45m、 樹齢・推定2000年 と言われる。


山間の渓流、中川川の畔にある箒沢キャンプ場の一角適地に、早速幕営した。無論、この時期はキャンプ場は開設しているはずも無く、云わば、無断使用であったが・・。
水炊き料理をフーフー云いながら食す・・、当然、本年最後の年末年始の「八ヶ岳越年登山」の計画を練りながらであるが・・。
妙なもんで、山に入って、これから山に登ろうという時に、次の山の計画を話し合うというのも、山人・・?、だからこそか・・。
それにしても、山中で味わう手料理は一味違う・・、酒量も一段と増えて、話し合いがまとまった頃、やっと夢路に就いた・・。既に周囲は深々と更けわたっていた。
夜半に、寒くて目が覚め一枚着込んで更に眠りに就いた。

明けになり、目覚めて気がつくと一段と寒さが身にしみる。テントから這い出して小用を足しながら行き逢いの人に聞いてみた、「冷えますね・・、これで気温はどの位ですかね・・?」「マイナス5~6度くらいだね・・」、寒いはずである、夕べのアルコールが未だ充分に体内に残っており、そのため身体はソコソコ熱っているのだが、手足が何とも冷たいのである。 相棒は、未だ夢の中らしく、仕方なくもう一度寝袋に潜り込んだ。

次回へ続く・・。


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