2009-04-25(Sat)

表丹沢:「丹沢山迷記(3)」

「登山、丹沢山塊、東丹沢・山迷記」
「人気の表尾根から東丹沢の札掛けへ抜けてみたが、
その札掛けからの帰路、とんでもない事になってしまった。
初春の、サンサンと雪の降る夜だった・・。」


表丹沢:「丹沢山迷記(3)」

昔、夢中になっていた「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながら記載しております。
お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください。
現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。


「札掛」について・・、
最近は大分倒木がすすんでいるらしいが・・?、この辺り、中津川上流のこの地域はモミの木が群生する丹沢を代表する景観である。
江戸期の頃は、幕府の見回り役人が目印に大木に札を掛けたことから、その地名の由来とされている。

小生の住んでいる「厚木・あつぎ」という地名の由来であるが・・、
木材の集散地であったところから、アツメギがアツギに変化したとされるが定説ではない・・?。 
厚木周辺の北西方向の山域は「丹沢山塊」から派生する低山地帯を形成し、比較的人が入りやすい森林地帯でもある。

現在、神奈川県で唯一の村である「清川村」は江戸期には丹沢御林とも呼ばれ、七沢・煤ケ谷その奥にあたる宮ケ瀬の東丹沢山一帯に繁茂する森林は徳川氏が江戸に入るに及んで「丹沢御林」と称された、後に御料林と呼ばれた。  
御林は幕府直領下におかれ、江戸城修築や江戸の町並みを造営、其他の木材に使用の便に供された。
この山林を守り用材の諸役を課せられた村々は年貢・諸役を免ぜられていたともいう。 

丹沢東部に属する村々、愛甲郡煤ケ谷村、宮ケ瀬村、大住郡寺山村(江戸期の地名、現在の秦野市域)、横野村(江戸期の地名、現在の秦野市域)の四ヶ村に御林の警衛なども命ぜられている。
又、ここを丹沢を御留山(おとどめやま)とも称し、新編相模国風土記の記事に、右の四ヵ村の御料林役人や村民が御林を巡見した時の様子が記されている。
順回用の番札を掛けたことから宮ケ瀬から秦野へ通ずる林道上(県道秦野清川線)にある巡検所を、特に「札掛部落」と呼んでいたという。 

hudakake
札掛部落に立つ石碑


幕府は、樅(もみ)、栂(つが)、欅(けやき)、榧(かや)、栗、杉の六木を留木として伐採を禁じていて、山麓の村々が交替で見回っていたのですが、その際、タライゴヤ沢と藤熊川の出合の広川原にあったケヤキの木の洞の中に見回りの番札を掛けていた。それで札掛という地名がついた。集落ができたのは明治時代になって木こりが住むようになってからです。

次回へ、続く・・、


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