2012-03-05(Mon)

大菩薩峠・紀行(31) 「武田金山史と金山衆」

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 大菩薩峠・紀行(31) 「武田金山史と金山衆」  .



黒川金山から採掘された金鉱石は、選り分けられて金粒にし、更に精錬され、初期には甲州金(秤量貨幣;貴金属としての品位・量を検査してその交換価値を計って用いる貨幣)に、後には計数貨幣(一定の品位・量を保持しており、その枚数によって交換価値を計る貨幣)に仕上げられ、これが武田の莫大な軍用金(一説には48万両)として用立てられたと言われている。


信玄の時代の最盛期には、鉱山の住人は1000人近くに達していたといい、金山衆(かなやましゅう;金山を運営していた、自立した山師、山主の集団)は武士も兼ねていましたので、いざという時には戦にも加わり、坑道掘り、採掘、水抜き坑道の技術など鉱山で身に付けた技を駆使したともいう。

実際に、黒川金山には6人の金山衆(親方)がいたとされ、彼らは鉱山採掘権をもち、武田氏と主従関係を持つ自立した名手的武士団であった。

彼らは武田氏の城攻めにも加勢して、北条勢や織田勢相手に多大な活躍をしている。
現在の塩山市の上荻原から於曽、熊野方面にかけて居住していて、今でもその屋敷跡がある。


勝頼の代に入り、長篠の合戦(織田、徳川軍との戦)で敗れると、織田、徳川軍に金山を利用されるのを恐れ廃坑にしたとされる。
この時に鉱山の機密が漏れないよう口封じの為、いわゆる「おいらん淵の伝説」(後述)といわれる女郎達の残酷な処分が行われたと言う。


徳川時代に入り、大久保長安により黒川金山が再びは採掘され、この時、武田当時の黒川千軒はほとんどが一之瀬に移住したとされている。

明治時代に入って何度か金山の再堀、再開発事業を興こそうとしたが、採算がとれず失敗に終わっている。

一之瀬集落( 標高1200m))に移り住んだ金山衆はそれ以後、農林業従事していたという。

明治45年(1912年)に東京都水源林(当時は東京市)となってからは金の採掘は禁止され現在に至っている。


次回、「おいらん渕と一の瀬集落」




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