2009-06-02(Tue)

上高地 (Ⅳ) 

上高地(Ⅳ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 上高地の自然保護 】 
40年前の東京、京浜地区は水も空も汚れていた、従って、首都圏の世間ではそろそろ自然への回帰、回復を叫びはじめた頃であり、そしてその頃、尾瀬の道路建設に対して自然保護運動などが活発化した時期でもあった。
しかし、上高地に関しては、既に昭和27年(1952年)国の特別名勝特別天然記念物に指定されてはいたが、自然保護や環境保全といった特別な活動、具体的な行動は未だ活発ではなかったように思う。

明神
木道
明神の遊歩道と景観

上高地が自然や環境を考え、マイカー規制が開始されたのは小生が始めて入山した7年後の昭和50年(1975年)頃で、しかも7~8月の夏季のみであった。
そして更に20年後の平成8年(1996年)に通年のマイカー規制が開始されたのであった。
この制度は1975年に上高地で始まったのを機に、その後、全国各地へと広まっていったようである。

尾瀬が、尾瀬沼を通過しようとする道路工事を止めた、所謂、人工物の建造差止めの自然保護活動の原点とするならば・・、
上高地は、さしずめ排ガスなどを規制する環境保全の原点といえるのではないか・・。

国道から(158号線)上高地へ向かう途中に「釜トンネル」がある。 
上高地に入る際は必ずこの「釜トンネル」を抜けなくてはならない。
小生、昭和40年の初期から登山や観光で何度となく上高地へ入り、その度にバスやタクシーで通過しているのであるが・・。

尤も、上高地に行くには、この釜トンネルを抜ける他に、徳本峠(とくごうとうげ)などの山越えをしなければならない。
昭和初期以前までの上高地・黎明期の頃の人々は、上高地・明神の南に位置するこの徳本峠を越えて入山するのが常道であった。
島々から徳本峠(2135m)まで標高差約1400m、15k余りの道程を、四苦八苦しながら上り下りしなければならない。 
山屋さんは、さらにそこから槍や穂高をめざしたのである。 
それだけで日程的にも1日や2日多く、労苦を重ね、強いられたのであった。
 


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