2011-08-02(Tue)

尾瀬紀行(49)尾瀬ヶ原 「見晴十字路」

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 尾瀬紀行(49)尾瀬ヶ原 「見晴十字路」  ,




見晴(下田代)付近から景鶴山、与作岳方面


見晴から、こちらは至仏山



山小屋が並ぶ見晴十字路



赤田代から見晴へむかう道中は青空の天井、両脇に至仏山と燧ケ岳、見渡す限り白い雪、雪、雪の原、その名の通り見晴らしが満喫できるところである。


暫く進むと前方に、赤田代分岐(東電小屋分岐)と2ヶ所のベンチが見えてきた。
このまま進むと東電小屋に至るが、小生は無論、東電小屋方面に曲がらず直進して、平坦な道跡を進む。 


やがて踏み跡は見晴(下田代)に向かう段差に差し掛かる。
赤田代が尾瀬ヶ原の北端とすれば、この辺りは尾瀬ヶ原の東端部分でもあり、燧ケ岳の山裾、山麓でもある。 
従って、道は全くの平坦ではなく上下に変化をしていて、見晴らしのほうがやや、低めになっている。

白銀の原っぱの一角に、背丈の高い「三本のオオシラビソ」の常緑樹木が行儀よく並んでいて、目立った存在となっている。
尾瀬ヶ原の湿原内にはどちらかといえばシラカバ、ダケカンバなど木肌の白い落葉広葉樹が目立つ中、緑の常緑樹との兼ね合い、バランスが一つの風景を描き出している。
 

東電小屋分岐を左に曲がりながら下りて行き、更に先に進むと雪道は再び左から流れ落ちる小川を渡る。
ここまでくると見晴(下田代十字路)の山小屋群が大きく見えてきて、間もなく到着である。
ここが今まで巡り巡ってきた「燧裏林道」の終点にもあたる。


弥四郎小屋のすぐ横の名水:弥四郎の清水(別名:丈堀)に到着した。 
こんなに雪に埋もれていても、この清水だけはいつものように流れている。 

早速、神の水で喉を潤す。 
夏場は強烈に冷たいはずの清水であるが、季節柄、余り冷たさは感じられない。 
それにしても有難いことである。



尾瀬ヶ原の東の端に位置する下田代、通称・見晴十字路とか見晴銀座には弥四郎小屋をはじめ6軒の山小屋が集中している。 
山小屋がこんなに集中しているのは日本全国の野山でも、ここぐらいで非常に珍しい。

この地は原は勿論、周辺の見通しも良く、通路は赤田代、三条の滝をはじめ尾瀬沼、八木沢道を経て富士見峠、そして尾瀬ヶ原を縦断して中田代、上田代の尾瀬ヶ原の核心部から、鳩待峠へと分岐する。
所謂、この「見晴」の地は、十字交差点に当るのでその名が付いている。

因みに、原の中央・中田代には竜宮十字路という分岐路もある。
小生はこれから標識に従って尾瀬沼方面へと向かうのである。


次回、 「段小屋坂



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2011-07-31(Sun)

尾瀬紀行(48)尾瀬ヶ原 「赤田代」

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 尾瀬紀行(48)尾瀬ヶ原 「赤田代」  ,




赤田代付近


赤田代」は、原っぱの最北部に位置していて、東西に燧ケ岳と景鶴山(与作岳)の山稜が迫り出した領域に扇状地のように広がっている。 

そして、この湿原は今も進化を遂げているという・・?。


先にも記したが、普通、湿原は次第に退化し、平原から森林に移行するものとされている。
尾瀬ヶ原も同様で、長い年月をかけてやがては森林化を辿ることになる。
ただ、尾瀬ヶ原の場合は西方に尾瀬沼とその周域に特別な水域を抱えており、通常の湿原の退化と比較して、かなりの長時間を要するとも考えられている。


そして、ここ「赤田代」では通常の湿原の退化とは逆の現象が起きているといわれる。
 
この地は、尾瀬の総水量が集中し、その度に河川の水が大幅な増減を繰り返えされている。
そのため河川の水量に併せて、地下水が上昇と沈下をしながら、かっての樹木が退化し、草原、湿原が進行し広がっているという。

つまり、樹木林から次第に湿原化の方向にあるという。
特に、山の傾斜地の下側から水が湧き出すなどして、湿気が次第に高まり、その部分は枯れ木現象も出現している。 

山の裾の下側から水が湧き出し湿性になったところは次第に木が枯れて湿性植物が生え、湿原性の泥炭地は次第に斜面を這い上がるように拡大し、そして堆積していくのだそうだ。 
これを沼沢(しょうたく)化現象といい、沼沢化型湿原ともいわれる。

赤田代をはじめ東電小屋や見晴十字路辺りはこの現象が顕著で、燧ヶ岳方面のオオシラビソやキタゴヨウが立ち枯れを起こしているに見られる。

そのためか尾瀬名物の春先のミズバショウは、この辺りの湿原と森林の境界あたりでは小さくて可憐に咲き揃い、もしかしたら尾瀬ヶ原で一番きれいなミズバショウとも言われる。

一般に尾瀬ヶ原は湿原が乾燥化し森林化が進んでいるといわれるが、このように湿原が発達している場所もあるというのは興味深い。



さて、先を急ごう・・!
この後、原の下田代十字路(見晴)から白砂峠を経て、昨日の出発点である沼尻、長蔵小屋を目指し、時間によってはこの地で宿泊の予定である。
 
休憩施設のベンチを右手に見ながら進むと、今度は大きめの木橋である赤ナグレ沢橋を渡るが、この辺り、尾瀬ヶ原、下田代から伸びてきている湿原の展望が中々である。
両岸が未だ雪に覆うわれているが、水量は雪解けが進んでいて多いようだ。


そこを渡って間もなくすると赤田代中間点となり、右手は尾瀬ヶ原の北側の遊歩道へ延びている。
右手に太い丸太で作られた立派なベンチが見え、雪に埋もれた標識が見晴と東電小屋方面を指している。


次回、「見晴十字路



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2011-07-30(Sat)

尾瀬紀行(47)尾瀬ヶ原 「尾瀬の温泉」

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 尾瀬紀行(47)尾瀬ヶ原 「尾瀬の温泉」  ,




尾瀬ヶ原の温泉小屋(小屋提供)



錦秋の渋沢温泉小屋(小屋提供)




宿の前には尾瀬ヶ原が広がり、遠くには至仏山を望むことが出来る。
又、何より燧ヶ岳や只見川の二つの名瀑への基地としても便利であろう。 
大きい荷物ならこの小屋にデポ(荷物を行程の途中に置いておくこと)して、滝見物には往復に2時間もあれば充分であろう。

宿名が示すとおり、敷地内には豊富に温泉が湧き出し、凡そ、20度の源泉ではあるが、加熱していて、充分温泉気分も味わうことが出来る。 
山行の途中に貴重な山の温泉を楽しむことも出来る。
しかし、通常の人の居住地ならいざ知らず、交通不便な山中である。 

加熱燃料は周辺の薪を利用しているのか、はたまた、化石燃料を地元から運び入れてるか不明であるが大変なことは事実である。 
従って、入浴は時間制限になり、夜の一定時間のみらしい。
因みに、御池・七入パーキングは通常の駐車料金1000円であるが、宿泊者には無料で止まれるらしい。


この温泉小屋は、初めは長蔵小屋の初代・平野長蔵氏が昭和初期に建てたものらしいが、本元(長蔵小屋)が多忙になったため、親戚だった星段吉氏に譲り、新たに営業を始めたらしい。
その後、小屋と御池を往復するのに、只見川の深い峡谷を行き来するのは大変だというので、新たに小屋から燧裏林道に直接抜ける道を開拓したのである。
それが「段吉新道」で、昭和12年(1935年)に開通している。

温泉小屋情報
〒967-0531 福島県南会津郡桧枝岐村燧ヶ岳
シーズン中:5月下旬~10月上旬  090-8921-8329(現地山小屋電話)
オフシーズン :10中旬~5月下旬  0241-75-2222
URL;http://www.onsengoya.com/aboutus/shisetsu01.php

尚、先にも記したが尾瀬の温泉といえば、尾瀬ヶ原から北に外れた「渋沢温泉小屋」がある。
こちらはメインルートから外れているため、ここを目的にしないとなかなか来にくいところであろう。

北側ルートの国道352号線の小沢平から入ることも出来るが、やはり、御池から裏燧の田代群を見物しながら、天神田代の分岐より入るのがお勧めであろう。
ゆっくり歩いて3時間もあれば充分で、自然の真っ只中にある静かな山の湯である。
山好き、釣り好き、山菜好きの通には持ってこいの宿で、皮膚病・胃腸障害等に効くという。

効能書の第一に「ヒステリー及び神経衰弱。特に頭部充血(・・?)の傾向ある者」とあるらしい。 (怒りっぽい人もやさしくなる?)

浴槽も総檜の気持ちのいい内風呂があり、川縁につくられた「せせらぎの湯」という露天風呂もある。
源泉33℃で内湯は沸かし直し、露天は源泉のまま使用しているため、夏向きともいわれる・・?。

渋沢温泉小屋データ

問合せ先; 0241-75-2105
宿泊料金; 1泊2食8,500円(2011年現在)
営業期間; 5月~10月下旬
URL;  http://www3.ocn.ne.jp/~nana777/index.html


次回、 「赤田代




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2011-07-29(Fri)

尾瀬紀行(46)尾瀬ヶ原 「温泉小屋」

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 尾瀬紀行(46)尾瀬ヶ原 「温泉小屋」  ,




さて、この後、尾瀬ヶ原の一角である温泉小屋、赤田代に向うのである。
平滑ノ滝展望台からは早速、急な木製階段を上ることになる。 
次に、大きな岩の間を抜けるような道に変わる。

相変わらず、雪道とはいえ木の根が所々で張り出しており、つまずかないように気を付けながら歩く。 
後は赤田代に向かって次第に上ってゆく。

これから先は、穏やかなブナを主体とした広葉樹の森となり、道も大きな起伏もなく歩きやすい木道になっている。


凡そ20分、約1km、よう様にして尾瀬ケ原の赤田代地区に出た。 
林から抜けるといきなり小屋が現われた。 
山小屋は尾瀬でもめずらしい温泉に浸かれる元湯山荘や温泉小屋が並ぶ。
しかし、両小屋共冬季の休業のままで、周囲は閑散としていた。


この辺りは未だ60~70センチの積雪があり、特に、小屋の北側は屋根からの落雪もあって、小山のように大量の雪が積もり上がっている。

温泉小屋の従業員らしい人が二人いて、小屋の様子の見回りか下見に来ていたらしい。
小屋の外には見晴らしのいいベンチ休憩所らしいのが既に開かれていて、ザックを下ろして久しく大休止をとる。

お昼に近い時間帯でもあり、周辺の雪を溶かし込んで水を作り、持参してきたインスタント・ラーメンと菓子パンを食す。 
御池ロッジより購入して、はるばる運んできたビールが火照った身体にしみこむ。
喉も身体も久しぶりに人心地がついた。 



気が付くと左足の関節痛もたいしたことは無さそうで一安心である。
小屋の人に何気なく話しかけてみた・・、

こんちわ、小屋の下見ですか・・?」

まあ、そんなところだわ。 何処を回って来なすった

昨日、大清水から燧を越えて、今日は御池より裏燧を回って来ました。 ところで、今年の雪はどうですか・・?」

おお、それは難儀だったね。 雪はいつものとおり、平年並みやろ。 これから一気に溶け出すでね

はあ、小屋が開くのは何時頃からですか・・?。」

何時ものことで、20日(5月)過ぎになるじゃろうかね


次回、 「尾瀬ヶ原の温泉



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2011-07-28(Thu)

尾瀬紀行(45)尾瀬ヶ原 「”滝”名称の逸話」

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 尾瀬紀行(45)尾瀬ヶ原 「”滝”名称の逸話」  .



「三条、平滑の滝」の名称について・・、


元より「」の単一語の意味では、「細長いすじ」、「すじみち」とのことで、水量が減ってくると三筋に分かれることから、その名前がついたとされている。
平滑の滝も字のごとく、ほぼ平らな面を滑るように落ちてゆくことから付けられたのであろう。


他に、「三条、平滑の滝」の名前の由来について、面白い珍談挿話があるので紹介しておこう。

奥只見の湯の谷村の銀山平には「尾瀬三郎」の像が立っていることは先に記したが、この三郎が尾瀬からの道中に、二つの素晴らしい滝があることを見つけ村人に話して聞かせる。
一つは落差が三十条もある雄大な滝で、もう一つは滝の形状が平で滑るように流れる滝であるということを。

ここで、若者が付けたのか或いは村人が付けたのか定かでないが、三十条もの落差のある滝を三条宮に掛けて「三条滝」、滑るように流れる平な滝を平清盛に掛けて『 平清盛が滑り落ちる滝 』即ち、「平滑滝」と呼ぶようになったという。
三郎が京を懐かしみ、平家に恨みを抱いてのことであった。



尾瀬三郎」は、元々の名を「藤原頼国」(尾瀬大納言藤原頼国)と称していて、京の後白河天皇の第三皇子:「以仁王」(もちひとおう)の従者臣下であった。 
以仁王は京都の三条高倉に居を構えていたことから「三条宮」、「高倉宮」とも称されていた。


平安時代末期、以仁王は平家(平清盛)の横暴にたまりかねて源頼政と合議の上、平家打倒を企てる。 
しかし、その企ては早々に発覚し、平等院で平家の大軍に囲まれ、源氏の総大将・源頼政は自刃、以仁王は宇治平等院からの脱出するが、平家の追手に捕縛され首を討ち取られる。

しかし、実際に打たれたのは代わりの者、影武者であったという伝説が伝わっている。
実は、討ち取られたのは別人で、以仁王は越後の小国郷、源頼之の領(旧小国町、現在は長岡市)に向け逃亡したとされる。

一行は上州・沼田にたどり着き、そこから尾瀬に入り越後へむかった。
尾瀬に到って新たな道を探すべく以仁王を残し、一人の若者を越後への探索に出させる。
その若者は漸く薮神庄(湯之谷村薮神)に辿りつき、この時、若者は尾瀬の様子と急峻な只見川の二つの滝のことを村人に話すのである。

その後、若者は再び以仁王の待つ尾瀬に戻るが以仁王の一行は所在不明のなり、苦難の末に尾瀬にたどり着いた若者は、燧ヶ岳山麓の岩窟を住処として都への帰還を夢見ながら志ならず尾瀬で果てたという。
村人は、何時しかこの若者を「尾瀬の三郎」と呼ぶようになり、この地はいつしか「尾瀬」とったという。

(以上はあくまでも定説ではなく、伝説、伝承の類である)


次回、「温泉小屋



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