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2012-11-24(Sat)

霊峰・日光の山々 「鳴虫山・2」

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 霊峰・日光の山々 「鳴虫山・2」  .




鳴虫山山頂




修行の山だった鳴虫山は、標高1104mの端正な山で、この山に雲のかかるときは雨になるとのいう伝えから、今では「鳴虫山」といわれる。


日光市街地を挟んで女峰山、大真名子、小真名子、男体山等の連山と対峙していて、中でも立地的に特に女峰山と対峙しているためすこぶる眺めが良い。

また、日光の山々を望む好展望台であるとともに、時期になると稜線一帯、アカヤシオツツジと紅葉が美しく、日光八景の「鳴虫紅楓」にも詠まれている。

「日光八景」とは、1711年(正徳元)輪王寺宮・公弁法親王(※)が、日光山の名勝八景を選んで、つれづれに陪従の僧徒・坊官等とともに詩作を試みた物とされている。

※ 公弁法親王は、後西天皇(江戸時代の第111代天皇)の第6皇子で、後に天台宗僧侶となり、出家後、親王宣下を受け法親王となる。
日光山(東照宮、輪王寺門跡)の門跡、東叡山・上野寛永寺貫首、東叡山上野輪王寺門跡などを兼任していた。

尚、公弁法親王の最大の逸話として、赤穂事件の裁量がある。
元禄15年(1702年)に起こった元禄赤穂事件では、公弁が5代将軍・徳川綱吉に赤穂浪士に切腹を命ずる決断を促したとする逸話が「徳川実紀」などによって伝えられているという。

公弁法親王の母方の叔母が綱吉の正室・鷹司信子の侍女だった縁から両者は親しく、綱吉よりはるかに若年ではあったが綱吉の相談に与る立場にあった。
事件後、浪士達の処置をめぐって幕閣内で意見の対立があり綱吉は裁定に苦慮していた。 又、公弁法親王自身も、浪士の討ち入りを義挙と思っていた節もあり、同年正月5日には浪士を褒める和歌も詠んでいたらしい。

この時の将軍の胸中は、「致し方なしと存ずるが、如何に・・?」、との問に、公弁は軽く相づちを打つだけで受け流し、浪士の助命を切り出すことはなかったという。
綱吉はやむなく2月4日(3月20日)に処断を浪士預かりの諸藩に通達し、浪士は同日中に切腹したという。

後に浪士の助命を願わなかった理由を問われた公弁法親王は、「本懐を遂げた浪士を生き永らえさせて世俗の塵に汚すよりも、切腹させることによって尽忠の志を後世に残すべきである」と答えたといわれる。



次回、 「鳴虫山3・日光八景」





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2012-11-23(Fri)

霊峰・日光の山々 「鳴虫山・1」

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  霊峰・日光の山々 「鳴虫山・1」   .
 




鳴虫山案内図




鳴虫山は、日光市街地より南2kmにある山で、昔は大懺法山(だいさんぽうだけ)ともいい、懺法とは罪を懺悔(さんげ)する儀式のことで、確かに、古くは日光の初期修行僧の参詣修行した山で、特に、冬季に修行した山であるらしく修行場の跡も、そこここに残っている。 

そして、その下山最終の慈雲寺近辺へ至る行者道は、1200年前、勝道上人がたどった道でもある。
この山に雲がかかると雨になり、子どもの泣虫にたとえて「鳴虫山」と言い習わされてきたという。 


大懺法山という名称は、明治までは「※三峰五禅頂」の内の冬峰の修験場の山として付されたもので、それらの痕跡として数多くの史跡が残されていて、この山に雲が掛ると雨が降ると言われ日光の里山的存在でもある。

※三峰五禅頂(さんぷごぜんじょう) とは、江戸期に再興された日光連山における修験者(山伏)の修験場であり、春夏秋冬の四季折々に行われていたらしい。
三峰とは冬峰・春峰、夏峰の三つを指し、五禅頂とは、秋に行われる修行も加えて総禅頂ともいい、五隊に分かれて行ったので五禅頂といわれる。

冬峰は、主に日光連山の南の山々で修行が行われ、
夏峰は、日光連山全体を経巡る修行であるが、余りの大難行のために中絶廃止されたと言われる。 2000メートル級の山が17座もある困難な夏峰修業は、室町期に廃止され近世の修験道再興時にも復活されなかった。
秋峰の五禅頂は北の山々で行われていて、5組が5回に分けて入峰したため五禅頂と云われたが、再興後は三組に縮小され「惣禅頂」と称し、総称して「両峰禅頂」とも言われた。


これらの修行を経験することによって、一人前の日光修験者として認められたといい、江戸期には、80坊と呼ばれる日光山の僧侶達がこの修行を行っていたとされる。
現在でも春・夏・秋年三回の入峰修行が行われているという。
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次回、 霊峰・日光の山々 「鳴虫山・2」





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